なぜ「修心」なのか?
- 剛史 小坂
- 6月2日
- 読了時間: 2分

先週末、私は武当山の道士とゆっくり話をする機会がありました。
武術のこと、修行のこと、人生のこと――。短い会話ではありましたが、その後もさまざまなことを考え続けるきっかけとなりました。
私自身、これまで陳氏太極拳を学び続け、中国では陳家溝だけでなく上海でも、イギリスでも日本でも修行を重ねてきました。その過程で技術の向上を目指してきましたが、今回改めて強く感じたのは、武術において本当に大切なのは「心」ではないかということです。
武当山の道士との会話の中で印象に残ったのは、武術は単なる技術ではなく、自らを修めるための道でもあるという考え方でした。技を磨くことと心を磨くことは切り離せず、むしろ心の成長があってこそ技にも深みが生まれる。そのことを改めて考えさせられました。
それ以来、改めて『陳氏太極拳図説』を読み返しました。そこにもまた、同じ精神が流れていることに気づかされます。書かれているのは動作や技法だけではありません。太極拳を通じていかに自己を修養するか、いかに心身を調和させるかという思想が随所に見られます。



そしてもう一つ、私が今、強く感じていることがあります。
それは、武術を教えることにおいても心が何より大切だということです。
技術だけであれば説明することはできます。しかし、生徒一人ひとりの歩みに寄り添い、その成長を支えるためには、指導者自身の心のあり方が問われます。相手を尊重し、その人の可能性を信じ、共に学ぶ姿勢がなければ、本当の意味で武術を伝えることはできません。
こうした思いを重ねる中で、私たちの教室の名前に込めた意味を改めて確認することになりました。
「修心陳氏太極拳・気功館」の「修心」とは、心を修めることです。
太極拳や気功を学ぶ目的は、人によってさまざまでしょう。健康のため、運動不足解消のため、護身のため、あるいは本格的な武術修行のためかもしれません。
しかし、そのどの道を歩むとしても、最終的には自分自身と向き合うことになります。
稽古を通じて身体を整え、呼吸を整え、そして心を整える。焦らず、驕らず、諦めずに歩み続ける。その積み重ねが人を成長させるのだと思います。
だからこそ私たちは、技術の習得だけを目的とするのではなく、人として共に成長する場でありたいと願っています。
太極拳の技を学びながら心を磨く。
それが私たち「修心陳氏太極拳・気功館」の目指す道です。




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